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えいがのはなし 評論家必要論

好きな映画を好きなだけ観て好き勝手なこと言っているとても羨ましい方々。
映画評論家。

こんな映画評論家を必要ないという人々がいる。(映画評論家不要論者)

はじめて不要論を説く人をラジオで聞いたのは学生のときだった。
その人物は売れっ子シンガーソングライターだった。
彼曰く「映画なんてものは観た人が感じればよいだけで、評論家なんてものは必要ない!」だった。
が、私にとって映画評論家はいなくなっては困る存在だったので、その発言には非常に違和感があった。

なぜなら、私にはその人気シンガーソングライターのように金持ちでもないので、片っ端から映画鑑賞をする無謀はできないし、そんな悠長な時間も無い。
貴重な時間とお金を有効に使う為には観る映画を選択しなくてはいけないのだ。
チョイスするにもヒントが必要。そのために役立つのが映画評論家だった。

ただし、評論家を選ぶ重要性も強調したい。
自分の趣味趣向に合い、信用のおける評論家を日頃からチェックしていなければならない。

また映画の見方を教えてくれた故・淀川長冶さんのような方は信用のおける先生でもあった。
先生・・・映画の先生。
さらに淀川さんは、映画から人生も学べ、英語も学べ、政治や経済や文化や芸術や生きるに当たって必要なことは総て映画から学べると教えてくれた先生だった。

映画は国語の読解のようなもの、全てのシーン、カットに意味や作り手の思いがある。
監督は画面上に不要なものが映っていれば排除できるし、足りなければ加える事が出来る。
そうしてその瞬間に意味を持たせる。それが表現だ。その表現された意味を理解しようと努める事も映画を楽しみ方だ。

しかし自分に知恵や経験や感覚が乏しいと、上手く映画を理解できないことがある。
その部分を埋めてくれる(または自分が見落としたり気づかなかった部分を教えてくれる)先生が優秀な先生なのだ。
ただし近頃はそういった映画の先生も少なくなり、そういう意味では不要な映画評論家が大勢いることも確かだ。


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私が10代の頃
淀川さんのラジオ番組を聴くのが楽しみだった(たしか月曜の夜8時、ラジオ関東)
同年代の友達が欽ちゃんやせんだみつおを聴いて喜んでいるとき、私のラジオスターは淀川さんだった。
その番組は、まさに映画の授業であった。(授業と言うほど堅苦しくもないが)
今では観れなくなった古い映画を、淀川さんが上手いこと表現して、聞き手にイマジネーションを与え、まさにその映画を観ているような感覚を与えてくれた。
淀川さんからは映画の観方を教わった。読解方法を教わった。観るべき映画を教わった。
手当たり次第に観る方法もあるし、好きなスターの出演作を追いかけるのも一法だ。
しかし人生の時間は限られている、イイ映画を沢山観たい。